若手棋士の活躍で注目を集める将棋界ですが、将棋の王様は「玉将」と「王将」があるということはご存知でしょうか。
古くからあったのは玉将
将棋の駒で「将」という文字が使われている駒は、王将、玉将の他に、金将と銀将があります。
金将と銀将は文字通り金と銀という財宝を表しています。同じように、財宝を表す「玉」という文字が使われていました。
このことは奈良県で出土した平安時代の将棋の駒には玉将しかなかったということで確認されています。
歴史的な点からみると、王将というのは玉将の後に作られたということになります。
なので、将棋界では自分が王将を使っていても「自玉(じぎょく)」と言いますし、敵が王将を使っていても「敵玉(てきぎょく)」と言います。
また、対局記録を書いた棋譜も王将ではなくどちらも玉を使います。
王将を作ったのは豊臣秀吉
さて、ではいつごろから王将ができたのかという話になりますが、王将は豊臣秀吉の命によって作られたという説があります。
豊臣秀吉は大の将棋好きであったということは歴史上の史実となっています。
そんな秀吉は、ある日「一番偉い駒は宝ではなく王であるはずだ」ということで王将という駒を作らせたそうです。
ちなみに「大将」という駒も作らせたという説もあります。
王将は上手、玉将は下手
以上のような歴史のある王将と玉将ですが、当然ながら駒の働きには大きな違いはありません。
ただ、将棋の駒には必ず王将と玉将が存在していて、明確に使い分けられています。それは、上手(うわて)が王将を使い、下手(したて)が玉将を使うということです。
もし目上の方と将棋を指す機会があった場合は、玉将を使うようにするとよいでしょう。