通説では「モナ・リザ」のモデルはフィレンツェの富豪、フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リザというのが強い説です。
「モナ・リザ」とは「私のリザ」という意味で、本当のタイトルは「ラ・ジョコンド」と言います。
他の説としては、ダ・ビンチ本人という説、ミラノ公妃イザベラ・ダラゴンとする説や15才で亡くなったミラノ公爵の令嬢ビアンカを年取らせて描いたとまで言う説があります。
リザの夫フランチェスコはバツイチでしたが、リザとは大変仲が良かったと言われています。
リザ自身も優しい敬虔なキリスト教徒で、フランチェスコの前妻の息子ともうまくいき、実の子のように育てました。
フランチェスコはフィレンツェの名家メディチ家ともつながりがあり、そのうち政治の世界にも登場するようになります。
芸術も愛し、申し分ない人間でした。
しかしなぜか、フランチェスコは「モナ・リザ」を買い取っていないのです。
ダ・ビンチは生涯最後まで「モナ・リザ」を手放していません。
どうしてかという説ですが、できあがった「モナ・リザ」には眉もまつ毛もありません。
これは当時の娼婦の姿だったので、フランチェスコが気に入らなかった、という説です。
それから好まれる説ですが、ダ・ビンチが「モナ・リザ」に母の面影を重ねてしまい手放さなかったという説。
いずれにせよモデルと言われるリザは、1542年サンタ・オルソラ修道院に埋葬されています。
棺ははっきりわかっておらず、そのこともさらに「モナ・リザ」に神秘を加えます。