「しあわせ~ってなんだっけ、なんだぁっけ?」
一時テレビCMで、お笑い人気芸人が歌っていたフレーズ。
覚えている方も多いのではないでしょうか?
人によっては感じ方の違う、「幸せ」とはいったい。
哲学の観点から見た幸せとは何なのか、調べてみました。
哲学から見る幸せとは何か?
そもそも哲学とは何なのでしょう。
テレビなどでコメンテイターをしている著名人の中に、哲学者といわれる人がいます。
分野的に世に知られるようになったのは、かなり昔のお話です。
哲学とは論理的明晰化を目的とし、学説で説明するものではなく人々の行動を本質として解明したものです。
何故そう思うのか、何故そういう行動をとるのか、という物事の本質をとらえ洞察し解明するのが哲学なのです。
哲学とは心の状態や抽象的なものを、合理的に言葉で説明することが出来る学問なのです。
では哲学から見た幸せとはいったいどのようなものなのでしょう。
幸せと簡単に言葉にはできます。
ですが、形として表すことは難しいことです。
それは幸せというものが、目に見えるものではないからです。
人間一人一人、幸せだと感じる内容や濃さには違いがあります。
幸せとは人の心の状態によるものだからです。
他人から見て「幸せそう」に見えるのは、その人の「充足感」であったり、表情に現れる微笑みであったりするわけです。
心が満たされて、それが表面に出て幸せに見える。
それぞれが持つ欲求が満たされたときに、自然と実感するのが幸せというわけです。
哲学から見た幸せを、自分の物として感じるには?
幸せの感じ方や度合いなどは、人それぞれだという事がわかりました。
では、その幸せのしっぽを捕まえられるようにするにはどうすればよいのでしょう。
人の物質的欲求や肉体的欲求、精神的欲求さらには社会的欲求のすべてが満たされると、人は幸せを感じることが出来るだろうと心理学者のマズラーは言っています。
また「幸福論」(1925年)を説いたアランは「幸せを呼び寄せる」方法が「笑う」事だとし、幸も不幸も自分自身が作り出すことだとしています。
イギリス生まれのラッセルは幸せを感じるというのは「努力とあきらめのバランスが肝心」としました。
幸せかどうかというのは結果論で、努力した成果(結果)は運命にゆだねるしかないと論じています。
敬虔なクリスチャンのヒルティは、よく朝起きることを楽しみにしている人間は幸福であると言っています。
幸せとは日々の仕事や学びの中に喜びや楽しみを見つけ、努力し人よりも謙虚でいることで感じられるとしています。
まとめ
何を幸せと感じるかは、個人の心の状態に違いがあるようです。
小さなことでも、嬉しく感じたり有難く思ったりすることが「幸せ」の定義の様です。
自分の気持ちに正直に行動することが、幸せな事なのです。